祈る

その日を忘れない

今日は、阪神淡路大震災から19年。
各地で祈る人々の姿が朝から夜までニュースで何度となく流れてきましたし、FBでも黙祷を捧げる人、「忘れない」と決意を新たにする人、何人もの「お友達」が想いを語っていました。

1月17日
3月11日
9月11日のN.Y.
8月になれば広島、長崎、終戦
6月は沖縄戦
伊豆大島やフィリピンの台風被害、スマトラ沖地震とその後の津波
もっと遡れば雲仙普賢岳の火砕流や奥尻島の津波・・・・

わたしたちには忘れてはならない日付は、いったいいくつあるのだろう?

大勢の犠牲者が出た大きな災害だけでなく、たとえ小さな事件や事故であっても、たった一人のかけがえのない存在を失った人にとっては、世間に対して「忘れないで」という気持ちは同じくらい強いものがあるでしょう。
きっと、1年365日どの日付も、誰かにとって「忘れられない」、「忘れてほしくない」日付。

だからわたしは、毎朝目覚めていつも通りに1日が始められることを感謝しよう。
眠りに就くときには、自分と家族が1日命を長らえて、平穏無事に過ごせたことを有難く思い、次の日もそうであることを祈ろう。
そして、見知らぬ人々に思いを馳せ、この世から悲しみが少しでも減りますようにと。

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嵐の中の発見

ママ~、ドゥ ユー リメンバー?・・・・

かあさん、うちの登記簿 どこへいったのでしょうね。
20年前に手に入れた あの登記簿ですよ・・・・

この二日間は母の部屋の一大整理。
台風で家に篭っていたからというわけではなく、必要に迫られて。
20年前に購入した我が家の火災保険が満期を迎え、新規に契約するにあたり、家の登記簿の記載内容が必要となり。
母がどこかに仕舞いこんでいるのは確かなのだが、すぐには見つけられず。もちろん、当の本人に訊いたところで答えがかえってくるはずもなく。
保険屋さんに「月曜日中に探し出してファクスする」と約束した手前、なんとしても見つけ出さなければ!

というワケで、土曜の夕方から昨日までかかって、ようやく目的の物を発見することができました。
が、それに付随して、いろんなモノが出てくる出てくる・・・・。
古い通帳、電気やガスや水道の領収証、自治会の議事録 →これらはすべて処分!
でも処分できないものもありまして。
まず、母が几帳面につけていた家計簿。毎日のメモ欄にはその日の出来事も書き込まれており、だんだんと空白のページが増えていくのは、おそらく母の状態が悪化していったのと比例しているのだろうと思うと、切なくなる。

そして昨日は父の遺品も。お財布や免許証。そして、最後まで使っていた手帳。
この手帳にも、父が他界した日付の先まで予定が書きこまれていて、胸がキュウっとなった。その予定をこなすことなく自分がこの世を去るなんて、父には予想もつかなかったことだろう。

極め付けは、この写真。
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初めての我が子を抱く二十歳の祖母と、嬰児(みどりご)の母。
母の写真は、ほとんどが空襲で焼けてしまったはずなのに、なぜこれと数枚の写真だけがここにあるのだろう? (だけでなく、ガラスの原版まであってビックリだ)
昭和初期。わたしが生まれるずーっとずーっと以前の二人。
この時の祖母は、どんな気持ちでいたのだろうか。
今となっては知るすべもないけれど、この写真の中の二人が祝福に包まれていたことは間違いない。そう、思う。

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3月11日

2年前の今夜は、都内の小さなオフィスで一人、ひざ掛けにくるまりながら、明け方までずっとPCで情報を集めたり発信したりしていた。

去年の今夜は、実家で母と二人で、いつも通りの日常を過ごした。

今夜は、母のいない実家で、静かにひとり。
来年の今夜は、どこで、誰と、過ごしているのだろう・・・・

とまれ、今日も一日いのちを永らえて、当たり前の生活を送れていることに、深く感謝をするのです。
そして、頭をたれて祈ります。

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明けない夜はない

今年は、そんなタイトルで新年のご挨拶状を作りました。

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写真は、昨年10月20日に苗場山頂で迎えた夜明け。
幾重にも重なる山々の向こうから日が昇り、霜に覆われて一面真っ白な世界をゆっくりとバラ色に染めてゆく・・・・その様を眺めながら、ただ言葉もなく、そこに居るのみでした。

昨年の紅白を見ていても、時節柄か『明けない夜はない』という歌詞が、何度となく出てきました。

明けない夜はない

日はまた昇る

使われすぎて、やや陳腐な言葉になりつつある気もするけれど、実際に夜明けの美しさを目の当たりにしてみると、やはり

「夜明けは、誰にでも等しくやってくる。なにがあっても」

その想いが、理屈ではなく、感覚として、心の底から湧き上がってくるのです。

個人的には、昨年は、自分のイヤな部分、見たくない部分、あってほしくない醜い部分を、それがアルと認めたくない部分を、「アルのだ」と認めざるを得ないと思い知らされた一年でもありました。母との付き合いの中で。
自分の中の心の闇に光が当たってしまった一年。闇を闇のままとせず、醜い部分にもキチンと光を当てて、目をそむけずに歩いてゆく。そんな一年にしたい、という願いも込めています。逆説的ではあるけれど。

なんだか、新年早々、重たい話になってしまいました。
とまれ、みなさまにとりましても、心穏やかに過ごせる平和な一年となりますように。

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よいお年を

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今年のブログしめくくりは、ふくしまキッズでのひとコマ。
1日中タップリ海で山で伸び伸び思いきり遊んだ最後に、みんなで眺めた森戸海岸の夕陽。

今年ほど、ひとりひとりの中でさまざまな想いがめぐる大晦日はなかったのではないでしょうか。
紅白歌合戦の出演者の力こもったステージを観ながら、つくづくそう思います。

どうか 来る年は 希望を持てる 明るい一年になりますように。

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おだやかな旅立ち

12月も半ばとは思えないような、うららかな、おだやかな日射しがいっぱいだった昨日。
叔父の旅立ちを見送ってきました。
母の妹の連れ合いなので、血のつながりはないのだけど、好きな叔父でした。

いくつかの病を患ったにも関わらず、84歳まで永らえたのですから、天寿といってもいい。そう思えて、悲しみはさほどありませんでした。
けれど、いとこ達と並んでさいごのお別れをするときに、ふと、子どものころのことを思い出して、涙が出てきました。
ああ、自分の子ども時代を知っている人が、またひとりいなくなってしまったなぁ・・・・と。
大好きなおばあちゃんを囲んで、たくさんの親戚一同が集っていた、幸せな子ども時代を。

ときは流れ、叔父や叔母は祖父母に似てきて。
いとこ達もそれぞれ、叔父や叔母の若いころにそっくりで。
わたしも、久しぶりに会ったいとこに「ちぃちゃん、おばちゃんソックリ!」と笑われて。
自分に関してだけは、内心「そぉかなー??」と、思うケド(笑)

でも、ふとしたときに見る母の手の形が、亡き祖母のそれと重なり、
自分の手もまた、母の手に近づいていることを知る。
そんな、2011年の初冬。

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ありがたく いただく

え~、ストローベイルWSの話を引っ張って恐縮ですが、善了寺でのこのWSからは本当にたくさんのものをもらったので、もう少しおつきあいください。

WSでは毎回、参加者全員にお昼ご飯が出ました。
事前のお知らせでは「簡単なお食事はご用意します」とあったので、おむすび二つくらいかしら、おかずになるもの持って行ったほうがいいかな? なんて思ったのですが、なんのなんの!
毎回毎回おなかいっぱいになるくらいのおいしいお食事がテーブルに並びました。
もしかしたら、ふだんの我が家の夕食よりも立派だったかもcoldsweats01

これはすべて坊守さん(ご住職の奥様)とお寺の女性会の方々の手によるもの。お寺の畑で採れたお野菜や、坊守さんのご実家から送られてきたお魚など新鮮で体によい食材を使って、心をこめて、手間をかけて作られたもの。
「これはどうやって作ったのだろう?」と思うような工夫をこらしたメニューもあって、思わずレシピを聞いたりして。

毎回、食事をいただく前といただいた後には必ず感謝の言葉を全員で唱えます。
その言葉は、このとおり↓ (ご住職のブログからコピペさせていただきました)

〔食前のことば〕
(合掌)
●多くのいのちと、みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。
○深くご恩を喜び、ありがたくいただきます。
〔食後のことば〕
(合掌)
●尊いおめぐみをおいしくいただき、ますます御恩報謝につとめます。
○おかげで、ごちそうさまでした。

言うまでもなく、食べ物はすべて「いのち」
ファストフードのハンバーガーも牛丼も、もちろん「いのち」には違いなく、感謝していただくのは当然。
けれど、やはり人が手間暇かけて、食べる人のことを思って作った食事こそ、この感謝の言葉にふさわしいのではないでしょうか。
コンビニで買った菓子パンに向かって言うのと、お寺で出された心づくしのお食事に向かって言うのとでは、心持がずいぶん違います。
(十分な食事を得ることができない人のことを思えば、もちろん菓子パンだって、それを食べることができる幸せには感謝しなくちゃ、なのですが)

逆に言えば、上に紹介したような感謝の言葉にふさわしい食事を、自分は日々きちんといただいているのだろうか?ということ。
「できあい」や「インスタント」ではなく、食材のいのちと、その作り手に思いをはせて、丁寧に用意する食事。
感謝の言葉にふさわしい、「有難い」食事を増やしていかなくてはと思うのです。

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7月30日の涙雨

2011年7月30日 鎌倉由比ガ浜

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暗くなった砂浜には たくさんの灯篭
たどり行くべき道へと 導いてくれます。

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あいにくの雨模様でしたが、浜には思ったよりもたくさんの人が集まっていました。
時間がたつにつれ、雨で灯篭の火も消えがちになりました。
お坊さんたちの読経のあとで、参加者は思い思いの灯篭を囲んで持参した線香花火に火を。

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今夜の雨は きっと なくなった人たちと その人たちを想う人との 涙雨なのかもしれません。

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ハワイに行く

旅の話では、ありません。
旅立ち の 話 ではあるかもしれないけれど。

沖縄で漕ぐときにはいつもお世話になるカヤック屋さんのブログを、今日ひさしぶりに訪問したら、お店の看板ネコが3月末に18年の命を閉じたことが記されてあった。
ミミーは美形で、気位が高くて、賢くて、甘え上手で、ネコの魅力を余すことなく兼ね備えたネコだった。
もう一度、会いたかったな・・・・
ミミーに限らず、イヌでも、他の生き物でも、人ならなおさらのこと、訃報を知ったとき、いつも思うこと。
I miss you.... I wanna see you again

オーナーのブログには
「沖縄では、オジィー、オバァーはあの世のことを『ハワイへ行く』というのだ」とあった。
それを読んだとき、「沖縄らしいなぁ~」って、少し気持ちが軽くなった。

そっか・・・ミミー死んじゃったのか・・・・と残念に思う気持ちと
ショッキーとナオさんの悲しみを想像して、クシュッてなってた気持ちが
「ミミーはハワイに行ったのだ」と考えたら、だいぶ救われた気がした。

「ちょっとハワイに行ってくるさぁ~」
「先にハワイに行って待ってるさぁ~」
沖縄のおじぃやおばぁはきっと、そういって笑顔を残しながら、ご先祖さまの元へ旅立っていくのかもしれない。
ふざけるとか、茶化すとかいうのとは違う、沖縄の人独特のカラリとした悲しみが、その言葉に詰まっているような気がするよ。
悲しい思いをたくさんたくさんしてきた、沖縄の人ならでは の ユーモア。2007


この夏は 沖縄へ 行こう

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キャンドルナイト@東電前

今日はチェルノブイリの日
25年前のこの日、人類史上最悪の原子力事故が起きた。
そして今、日本の福島で、チェルノブイリと同じかそれ以上の事故が進行中だ。

発電所、兵器・・・・核の廃絶を願う人たちは、いろいろな形で、そしていろいろな思いを抱いて、今日という日を過ごしたことだろう。

わたしは18時少し前に仕事を終えて、地下鉄に乗り、内幸町へ向かった。経産省へ。
今日、いくつかの団体が新橋駅前に集合し、経産省まで歩いて抗議文や要望書を手渡したのち、東電前でキャンドルを灯すという企画があることをツイッターで知ったからだ。
経産省別館前についたときにはすでに抗議行動は始まっていて、各団体の代表者や福島から来たという人たちが、大きなビルに向かって声を張り上げていた。
そんな人たちが70-80人は集まっていたろうか。今までだったら、平日のこうした行動には20-30人集まればいいほうなのだという。

約束の時間には経産省の担当者と原子力安全保安院の広報担当者が玄関前に出てきて、団体が用意した文書を受け取った。神妙な顔つきだった。
抗議した人たちは「経産省はちゃんと受け取るだけ、まだマシだよ。東電なんか出てきやしない」と。
こちら側の人間を取り囲むようにしている警察官たち、仕事を終えて省庁から出てくる公務員たちは、いったいどんな思いでこの行動を眺めていることだろう。

日比谷公園わきを通り、プレスセンタービルに入る中部電力の東京支社の前で抗議の声をあげてから東電前へ。
着いたころはちょうど暗くなる時間で、人々は用意してきたキャンドルに火を灯す。わたしは持っていかなかったので、他の人からわけてもらった。思い思いのメッセージが書かれた紙コップが、ほのかに明るく美しい。
わたしが書いたのは 「いのちがだいじ」

キャンドルナイトが始まるころには、経産省から歩いてきた人たちに、東電前から合流した人も加わって、100人以上はいたと思う。カメラやマイクを持った報道陣は、ほとんどが外国人。
自然と人の輪ができ、語りたい人が語り、みなは耳を傾ける。
その人々の願いが、祈りが、チェルノブイリに、フクシマに、そしてこの国を動かす人たちに、どうか届きますように。

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